関係ないけど関係のある話

トピック「被災」について

あれから4年が経った。あの日、私は何をしていたかは鮮明に思い出せる。
あの時私は高校二年生で、確かテスト期間。早くに終わったからすぐ家に帰って父と昼ごはんを食べて今日のテストはどうだった、なんて話をしていたらテレビから物凄い音がした。地震速報だった。
すぐ、お父さんと私と愛犬でリビングの真ん中にあるソファに乗った。そこがいちばん、周りに何もなかったから。幸いあんまり揺れなくて、ほっとしながらテレビを見ていたら今度は津波警報がきて、これはいつもとはちょっと違うぞ、と思い始めた。
映像は津波警報が出た場所のお天気カメラを映していて、父とふたりでずっと見ていた。どこかの港だった。最初は分からなかったけれど、どんどんどんどん水位が上がって、市場というのか、よくセリやなんかをやっているような建物が海水に浸かっていって。
津波って一気にどぱーん!と来るものだと思っていたから怖かった。

Twitterを見るとみんな混乱していた。幸い、私のフォロワーさんはほとんどが無事のようだった。そこで初めてフォロワーさん達の住んでいるところを知った。

テレビでは次々と目を覆いたくなるような映像が流れていた。街を覆っていく海水。逃げ遅れた人が映っている。高台に避難させられた子供が、「お母さん、お母さん」と泣き叫んでいた。私も泣きながらテレビを見ていた。いつもツンツンしている愛犬は、その日だけとっても優しかった。私の涙を舐めてくれるもんだから、いなくなっちゃやだよ、とぎゅっと抱きしめた。

その日の夜、仙台の映像を見て本当に怖かった。街中全部が燃えている。電気が通らず真っ暗な中で、火のついたところだけが明るかった。私は普通にご飯を食べて、お風呂に入って、でもそんな状況で確実に死にゆく人がいるという実感が湧いてきて、何とも言えない罪悪感で押しつぶされそうになった。

つぎの日、お父さんが冷蔵庫をチェックして、よし、と呟いていた。「食材はいっぱいあるし、缶詰やなんかもおいてあるし、トイレットペーパーやティッシュもこないだ買ったから、大丈夫。」無駄に買わなくてよかった、と安心しているお父さんに、「こっちは関西だし、みんなそこまで焦って買いに行ったりしないよ」と言っていたけれど、結局お父さんの言葉通りになった。

それから、色々なことが起こって、色々なことが変わった。

でも、震災から何度も耳にした「復興」と言う言葉は、今の現状をみるにまだまだ形にはなっていない。

先日、とある病院の災害訓練に参加する機会があった。私は患者役として事前に病名や症状を知らされ、実際にその患者になりきって他の参加者と共に病院に駆け込む。
災害医療の第一線で活躍するシステムとして「トリアージ」という、患者に優先順位をつけて高いものから順に治療を施すものがある。必要な患者に素早く医療を提供することが目的だ。私達はあらかじめ「あなたの症状ならきっとこれにトリアージされるでしょう」というランク(色)を決められ、実際トリアージされたランクと合っているかどうか、つまり現場での医療者の判断は正しかったかどうかを客観的視点で評価する役目であった。

当日、合図をもとに病院に駆け込み、「助けて下さい」とその場にいた医師にすがりつくと、「ここでは見れないので」と引きずるようにして外に出された。抵抗むなしく一番優先度の低い屋外の緑エリアでえんえんと待たされることになる。すぐに緑エリアが設営され、医師たちがやってきたが一向に診察が始まらない。現場には怒声が飛んだ。「どうして見てもらえないんですか」「そこにお医者さんがいるのに、なぜこちらに来てくれないの」私が見てもらえたのは診察開始から30分後だった。


私は80代のおばあちゃんの役だった。1人で椅子に座らされたのが怖くて寂しくて「誰か助けて」と叫ぶと、少し嫌そうな顔をしたスタッフ数人がかりで車椅子に乗せられて、「おばあちゃん、大人しくしててね」と言われ放置された。迷惑な患者扱いされていることが伝わってきて、悲しくて涙が出た。そしてその後医師による診察があったため、とにかく歩けない、痛い、助けてと主張すると本来自分が行くよりも高い黄色エリアに認定された。

もしこれが実際の災害現場だったら。私が、家族とは連絡が取れないなか命からがら病院にたどり着いた患者だったら。きっと、心細いし、家族のことが気になって焦りも生じているだろう。そんな時に医師や看護師から邪険に扱われたら、病院に対して大きな不信感が残る。
また医療機関側にとっても、正しい判断が出来ず本当は歩いて帰れるような人を重症認定してしまえば、救えなくなる命も出てくるかも知れない。


あれから四年が経ったけれど、四年位で大きく変わることなんてほんとは出来っこないのかもしれない。でもあの時学んだことを少しずつ活かしていこうという動きはある(自治体や鉄道会社による大規模な災害訓練など)。私も将来医療従事者を目指す身として、自分に何ができるのか考えなければならない。